きっと/ここだとさがすのに/すがたが みえないいもむしさん/(略)/かたちは こんなに/ちがっても/ちきゅうの うえに/うまれた いのち(「いもむし」)
平易な言葉に、小さな命を慈しむまなざしがにじむ。みずかみかずよ(本名・水上多世)は、一九三五(昭和十)年、旧八幡市に生まれた。七歳で両親と死別。親類に養育される中で「何気ない大人の言葉に傷つき、血をにじませた」(「遺書のつもりの私の三冊」)少女はやがて、文学の世界に没頭するようになる。
幼稚園に勤務する傍ら、二十三歳で児童文学誌「小さい旗」に参加。そこで出会った同人の水上平吉と結婚し、「生いたちからくる(略)不安感みたいなものがすっきり洗い流され」(『子どもにもらった詩のこころ』)、かずよは創作に精励する。児童文学者・椋鳩十からの「あなたの詩はりんりんと胸をうちます」との言葉にも励まされ、七七(同五十二)年、初の詩集『馬でかければ』を上梓(じょうし)。翌年には、生の喜びを光に満ちた代表作が生まれる。
雨にうたれて/林はみどりのしずくにすきとおる/雨がやむと/まっていたように/おひさまが/金のストローで/みどりのしずくをすいあげた(「金のストロー」)
深い信頼に支えられた夫との絆を伝える晩年の一篇。
あたたかい/あなたの手のひらは/たとえば・・・・・・/生まれたての/蝶のはね/おりたたまれた世界の/なんと/大きな愛でしょう(「たとえば・・・・・・」)
末期がんの苦しい病床にありながら、最後まで彼女の作品は生命賛歌であふれていた。病名を伏せたまま、夫は妻に詩集の出版を勧める。余命半年と宣告された闘病生活は三年に及び、この間に発表された単行本は詩集を含め六冊を数える。八八(同六十三)年十月、永眠。
かずよの詩は、死後も教科書やアンソロジーに度々取り上げられ、合唱曲にもなった。一部の作品は、中国でも翻訳され紹介されている。
九六(平成八)年には、水上平吉編による全詩集『いのち』が第五回丸山豊記念現代詩賞を受賞。「小さい旗」は創刊五十三年目を迎え、現在も続く。「言葉はやさしく心は深く」と願ったかずよの思いは受け継がれている。
(元学芸員・宮地里果)
※2008.07.26「西日本新聞」北九州京築版に掲載